善悪の話
こんにちわ!みょんです!
最近、暇なんですが、暇な人間は哲学するんですよね。
確かそんな感じでしたよね、スコラ哲学とかそういうの習った時に習いました。
ということで、今回は善悪についてです。
かなーり、テーマが重いですけど、別に深いことは言わないですよ。
だって頭悪いですもん。
難しいことは無理無理。
ま、そういうことで軽ーく重いテーマを扱っていきましょー。
まず最初に自分が善悪について考えるようになったのはFate/UBWを見たとき。
Fateの善は全てを救うことで、悪は全てを救えないこと。
だからこそ、全てを救う善の正義の味方を目指し、しかし、最大多数の最大幸福でしか善に近付けない悪の己を呪ったエミヤという構図になるのだと思ってます。
善に最も近い悪。
善に近付いても悪でしかないなら小さい悪を為す自分を殺すと決めたエミヤに、悪であることに代わりないとしても善を目指し善に近付こうとする行為は間違いなく善だと諭す士郎。
うーむ。心に刺さる。
勝手な解釈だけど。
んじゃ次。どうせ深く考えようったって頭悪いしここら辺が限界でしょーってことで。
こっちは1番最近なんですけど、ここは今から倫理です。の教師は生徒に等しくなければいけないという話。何話だったかは忘れちゃいました。本棚探ればどっかにあるんですけど、めんどくさいので笑
たかやなは倫理の教師として生徒に正しく等しく接しなければって思ってるんですよね。
つまり、この話の正しさってのは等しさです。
まぁ、教師という立場じゃなければあんまり関係ない話なんですけどね。
ここは今から倫理です。のなかで1番好きな話だからネタバレとか皆無で読んでほしいので、これ以上は書きません。
読んで。ください。最高だから。
んじゃま、最後に。
これが1番シンプルかつ、業が深い。
東京喰種で店長が取り囲むCCGに対して放った言葉。
「奪う行為は等しく悪だ」
悪です。
全てが悪。
生きる行為そのものが悪であるという話。
生き物は奪わずには生きていけない。
動物を屠殺し、植物を収穫し、近代文明は自然を殺す。
しかし、それは生きるためには仕方のないこと。
だからこそ、そこに感謝があるのであり、厳しさと覚悟がある。
そういうもんだと思ってます。
自分なりの解釈です。
店長はこの台詞の後、「私は自覚する。私は悪だ」そう言って捜査官を殺します。
これまでの隻眼の梟(店長)との戦闘で死者はゼロ(だったはず)。
これまであんていくで仲間たちと共に生きていけることを感謝しながら暮らしていた。
捕食者として生まれながら表舞台で暮らすと決めたことの厳しさと、見つかってしまえばどちらかが滅ぶしかないという覚悟。
とても苦しくて悔しいシーンでした。
そうじゃない。
すぐにレビューもどきみたいなことするじゃん。
違う。趣旨が違う。
ということで総括です。
あんまり書いてもグダるだけです、これ。
Fateの善は全てを救うこと、悪は全てを救えないこと。
東京喰種は奪う行為によって生きている全ての生き物が悪である。
どちらでも善とはあくまで理想であり、善に歩み寄るその行為を善とするしかなさそうに思えます。
難しい話でした。
頑張って噛み砕こうと思ったんですけど、難しかった。
伝わりましたかね。
信じるしかないですが。
では。