みょん氏の好みの話
こんにちわ!みょんです!
今回は好きについて書いていきます!
もう、ドーンと本題に入っていきますけども。
みなさんは自分の好き嫌いの基準の度合いって分かります?
私はですね。
好きなものはどんなに部分的に嫌いでも許せるくらい好きです。もう、言い換えてしまえば、愛とかそういうレベル。
今のところ、これに該当するのは好きなアニメやゲーム。親族や友人、バイトの先輩や正社員さんですかね。
Twitterの方でも割と家族の愚痴だったりバイトの愚痴だったりが少なくない方だと思うんですが、総じて好きですね。
もちろん、好きなYouTuberさんとかTwitterでよく絡む人とかも大好きです。むしろ、ここら辺の界隈は嫌いなところが見えない分、好きの度合いは高いかもしれないですね。
じゃあ、逆に嫌いなもの。
これはこの手でぶっ頃したいぐらい嫌いだったり、許せなかったりするものです。
特に差別的な発言や正義の面をした自分の悪性にも気付けない奴とか嫌いですね。
タイムリーなところからいくと、ヴィーガンとかツイフェミとかアベノセイダーズとかですかね。
嫌いなもの盛り合わせなので彼らのことはほんとに嫌い。
動物愛護の精神であったり、女性の権利回復だったり、政権批判だったりの大事さはわかりますが、限度があるし、他者批判より自己研磨を先にして欲しいですね、彼らには。
根本にある願いがどんなに正しくてもアプローチや主張の仕方でどこまでも悪になるということに気付いてほしい。
まぁ、もう嫌いだが。
こっちの嫌いなものの方はTwitterで関わりがある人よりもリアルでの知り合いの方が好きに転じやすい。
良いところが見えやすいから。
Twitterは悪い話で見つけた人は悪い話しかしてないからどこまでも完全悪に見える。
そんなはずはないはずなんですけど。
最後に。
普通はないのか、という至極真っ当な話ですが、多分、ないです。
普通に該当するとすれば、道行く何も知らず何も関係せず何の特徴も持たないサラリーマンとかじゃないですかね。
自分は関わりのある人間は必ずどちらかに分類されています。
好きか、嫌いか。
そして、大抵は好きに分類してます。
この好きってのは同性異性関係なく付き合えるってレベルです。
そりゃあ、深い付き合いになれば嫌いが見えてくるようになるから変わっていくかもしれませんが、それはまた別問題。
つまり、総括すると、両極なんですよね。
好きは愛、嫌いは冊意。
話の落とし所が見つからない...
書く前にある程度締め方考えてたのに忘れてしまった。
ぐだぐだですが、ここで締めです(´;ω;`)
では、ヾ(*´・ω・`*)おやすみなさぁ~ぃ